題名はない
中学生くらいの時、好きでもない女子でも「二人きり」になったりするとそれだけでなんだかなー。
トキメいたりしたんだけどね。
そーゆーの、ねーな。
当たり前か。よもやおっさんというお年頃だし。
女性に恐怖する事はあっても、女子に緊張する事はない。
なぜか好きでもない女子に緊張する、その場面にあたっては当然放課後の教室が良い。季節は夏だ、あっついねという無言の仕草。もしくは冬だ、寒いねという無言の仕草。か、教室の窓から満開の桜が望める春。でなければ、オレンジ色の夕日が沈む直前の秋だ。
よって季節は、いつでも良いという事になった。
演劇とかに携わっていると、そういう中学生くらいの時のトキメキを思い出せたのが良いときがある。これは、意外と困難だ。でも何となく心の奥底に記憶するその、よくわからない感じを思い出そうとは出来る。
恋心とは異なる。たぶん。
色々な事が新鮮である高揚というか。
で、そういう事は本来なんとなく淡い思い出としておくのが一番良いのだが、それを紐解いて行かなければならない。役者、なんとも因果な商売か。だな。
そんな芝居をする時に、そりゃ紐解いたり考えたり思い出したりまた発見したりしなきゃ観客の皆様のそんな「ほっこり」を喚起できないから。
答えのない物の答えを探そうとする作業を繰り返す。時には答えが明確な時もある。
でもねー、世の中すべてに答えや意味があると思うなよって事なんだよ。
嘘の様な本当というのは、現実なんだっていうね。
今時の言葉でいうと、まさかの○○〜!?かな。
現実味の無い現実があれば
現実的な様の虚構もあるので。
前者を解りやすく言うと
「ウソでしょー!?」
で、後者は
「マジでー!?」
だ。
そして、世界はウソでしょー!?とマジでー!?の積み重ねだ。
で、現実的や現実味なんていうのはある一定の価値基準であってそのどっちもが「本当の事」であってそれが現実だ。
そもそも本当の事という事自体が、価値判断という事によってぶれる事もある事なので結局の事としては、そういう事ではなく、現実の事を眼の前に起きている事と定義した事だけで、それだけが真実という事ではないという事もあるという事。
もはや
今俺が気になる事は。
何回「事」といったかなという事だけだ。
こんなんじゃ俺が何を言いたいのかワカラナイ。
ワカラナイというこの現象が真実ではない。
これについての真実は。
そもそも別に何か言いたいことがあるワケではない。
という真実だ。
本日の日記。
題名「題名はない」
題名のない音楽会という番組に。
あるじゃん。
ってツッコんだ少年の頃を淡い思い出として。
これで店じまいだ。
ありがとうございます
ヨコタシンゴ
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